皆さんは、「パソコン通信」をご存知でしょうか?

平成生まれには通じないパソコン通信あるある

パソコン通信とは、1980年代後半から1990年代後半くらいに盛り上がった、いわばインターネットのβ版のような存在。専用ソフトを使ってパソコンとホストコンピュータを電話回線で接続し、情報をやり取りするサービスです。

インターネットが普及し始めて衰退しましたが、当時を知らない人でも、パソ通プロバイダの「NIFTY SERVE」や「PC-VAN」などの名前は聞いたことがあるかもしれません。

掲示板やチャットで会話をしたり、メールを送受信したりする点はインターネットと同じ。ただ、基本的には文字しかやりとりができず、限られた環境の中、限られた人のみで熱中していたため、色々な意味で濃厚な世界でした。

今回は、そんなパソ通の思い出を、ワタシの記憶だけに頼らず、BIGLOBE社内でも大募集。その中から独断と偏見で選ばせていただいたネタを交えてお届けします。パソ通歴ではヒヨッコのワタシですが、皆さんと心を一つにして「あるある」を叫びます! ではスタート!

超高速なOLTに呆然

OLTとはオンライントークの略。要はチャットのことです。パソ通のチャットは新しい発言が一番上に表示され、古い発言はどんどん下に流れていくスタイル。参加人数が多い日など、そのスピードたるや目を疑うほどで、最初はついていくだけで精一杯でした。

ところが慣れというのは恐ろしいもので、気がつけば、皆とチャットしながら裏でマンツーマンチャットもしてしまう手練になっているのでした・・・(一体何をそんなに熱心におしゃべりしていたのでしょう・笑)。

生まれて初めて同じ趣味で盛り上がれる相手に出会った

あるあるあるある!!・・・って、これワタシの経験ですが(笑)。周りにファンがいないので自分一人で黙々と聴いていた音楽アーティストについて初めて語り合える相手に出会いました(そのアーティストとは、日本のロックバンド、カーネーションです)。

インターネットが普及した今、ネットで同じ趣味を持つ人と出会えるなんてごく当たり前のことですが、当時はそんなこと予想だにしていなかったので、本当に衝撃だったんですよね。

年齢が一回り以上離れた友人ができた

今もSNSなどを通じて世代の違う人と知り合うことはできます。でも、パソ通は今のインターネットと違い、利用者がはるかに少なく。世の中に色々な楽しいことがある中で、わざわざ時間とお金をパソ通に使っている者同士だったので、親近感も親密度も高かったです。

お互いにハンドルネームしか知らず会話だけで仲良くなり、対面して素性を知ってからも、それをあまり意識することなく、皆普通にタメ口だった気がします(集まりにもよるとは思いますが・笑)。

年がどうであれ、肩書がどうであれ、パソ通の世界では皆同じ一人の人間。そんな平等な雰囲気も、パソ通の魅力の一つだったと思います。

ここから先は、当時パソ通を楽しんでいたみなさんからのコメント込みでご紹介します!

やたら頻繁にオフ会をしていた

「平日はフォーラムのチャットで情報交換や会話を楽しみ、土日はオフ会に参加してました。木曜の夜に友人からお誘いを受けて、金曜の夜に東京周遊券を使って夜行列車で東京に遊びに行くとか・・・若かったのでかなり無茶苦茶なことやってました」(Fさん)

・・・あるあるあるある! 普通の飲み会、誰かの家でお泊り会、花火大会で屋形船、クラブイベントでオールなど、あらゆるオフ会を堪能したのを思い出します。あのアグレッシブさは一体何だったんでしょう・・・(笑)。ともあれ、最初はオンラインでハマり、その後オフ会も込みでハマった、という人は、自分も含め多かったのではないかと思います。

パケ死ならぬ電話代死になりかけた

「全国の知らない人と会話できるのが楽しくて、チャットにはまってしまいました。アクセスポイントが市外にしか無く、テレホーダイが始まる前だったので、パケ死ならぬ電話代死になりかけました。月の電話代20万円。NTTから『電話機の故障じゃないですか?』と慌てて確認されました」(Iさん)

・・・あるあるあるある!! いえ、20万円請求の経験はないですが(笑)、気持ちが分かりすぎて死にそうです。全国の知らない人と会話できる楽しさ・・・あの感動と興奮は忘れられません。電話代にはビクビクでしたが、テレホーダイが始まってから、料金的にはだいぶ楽になりましたよね。

相手が開封する前のメールを削除できた

「相手が開封する前のメールは削除できた。開封した時刻が画面で確認できた」(Nさん)

・・・そういえば、そうだったかも!と、このコメントを読んで思い出しました。今もできればいいのに~と思う人、沢山いそうですね(ワタシも・笑)。

一定周期でネカマ騒動が起きる

「女性のユーザは少なく、女性と推測されるニックネームだと、まずネカマ扱いされた」(Mさん)

ネカマ=ネットオカマ。最近はあまりこの言葉を聞かなくなりましたが、パソ通全盛期やインターネット黎明期は、女性を装って掲示板やチャットに現れる男性がたびたび話題になりました。ネカマが現れる→男性陣がシメる→立ち去る→しばらくすると別のネカマが現れる・・・というループがゆるい周期で繰り返されていた気がします。

個人的に印象に残っているのは、女性は相手がネカマであってもあまり気にしないけれど、男性はネカマだとわかると、カンカンに怒っていたこと。これがもし男女逆で、男性を装った女性がいたとしても、やはり女性はそこまで腹は立てない気がするので、これは男女の違いだな~、と興味深く思ったものです。

ゲームのダウンロードに夢中になった

「まだPCゲームを買うことが出来なかった当時(11歳くらいの頃)、パソコン通信でゲームをダウンロードするのが楽しくて仕方なかったですね。私の時はテレホーダイがあって、23時~8時の夜中、親から怒られながらずっとゲームフォーラムに張り付いていたことを思い出します。Bio_100%のゲームは面白かったなあ・・・」(Kさん)

11歳という若さにビックリです。それくらいの年齢でハマっていた人、実は結構いたのでしょうか? ちなみにコメント中のBio_100%とはパソコン通信を介してゲームを製作・配布していた集団。その中には、ニコニコ動画の技術を開発された方もいるのだとか。こうやって時代は繋がっていくんですね・・・!

他にもこんな声が寄せられました!

  • PC-VANに入会した当初(1986年?)通信ソフトが無かったので、入会案内に付いてきた冊子に記載されていたN88-DISKBASICの通信ソフトのソースを、手打ちで入力し、毎回フロッピーディスク(5インチ)から読み込んでいました。
  • 最初のモデムはたぶん300か1200bps。音響カプラは持ってなかったです。
  • 滝の様に流れる実況ログを追うのも精一杯でしたが、30分も電話代とパソ通代にお金を投じていると思うと、二重三重の意味で胸が高鳴りました。
  • 電話代がかさむので、いかに素早く巡回できるかの勝負でした(オートパイロットを使ったり)。
  • パソ通をするためだけに実家の黒電話をプッシュ回線契約に切替えてもらって、かつ、モジュラジャックが刺せるようにローゼットを交換してもらったドラ息子がこの私です。(_o_)
  • 大学時代、草の根ネットにアクセスしていました。毎晩福岡から東京にアクセスして、月の電話代が7万円を超え、両親に説明を求められました。
  • パソコン通信では掲示板に書き込む記事は、1行おきに記事を書くのがマナーとされていた。
  • 某通信事業者の携帯電話サービスに関する意見を投稿したら、ほとんどそのまま採用されて、新サービスにとして世に出たり(もちろん発表前にお試し利用させてもらえた)
  • 私がパソコン通信始めた頃は1200ボーと通信速度が遅かったので、「いかに1回の通信時間を短くして情報を取得しきるか」との戦いでした。


・・・いかがでしたか?
皆さんのコメントから当時の熱が伝わってくるようで、パソ通やっぱり熱かったんだな・・・!と改めて実感。そして記憶の共有こそ集合知がものを言うなぁ、と感じました。

皆さんの「あるある」なご感想や、「これは外せない!」というエピソードも、ぜひエンマガTwitterアカウント(@enjoymag)までお寄せくださいね!

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ダヨリン(ヨダエリ)

パソコン通信からネットに親しみ、ユーザー視点に立ったデジタル活用術の記事を『日経新聞』『日経ネットナビ』など多数の媒体で手がける。「イマ・ヒト・ココロ」が執筆テーマで、恋愛アナリストとしての著書も。思春期はドイツ在住。好物はお茶とROCK。 ⇒ダヨリン普通日記

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