平成生まれには通じない「インターネット接続あるある」

同じ記憶を共有する者同士で「あったあった」と盛り上がる、『あるある』シリーズ、第六弾、今回のテーマはネット接続。今思えば大変だった、でも楽しかった。そんなあの頃に、ズームイン!

時代と共に進化を続けるインターネット接続。

90年代と今とを比べると、回線の速度は比べ物にならないほど速くなり、使い勝手もどんどん向上。ネットサーフィン(という言葉自体、死語になりつつあるような)の最中、画像が瞬時に表示されるのも当たり前。本当に便利な時代になったものです。
でも、昔は制限や制約があったからこそ、ネットに繋ぐ時間が大切で楽しかった、というのもあるんですよね。というわけで、前向きに昔を振り返っていきましょう!

テレホーダイの時間が待ち遠しい

インターネットが普及し始めた1995年前後は常時接続などという素晴らしいサービスは無く、接続料金は従量制でした。なので、NTT東日本が23時から朝8時まで一定料金でつなぎ放題のサービス「テレホーダイ」を始めたとき、心でガッツポーズをしたものです。
23時が近づくと、自分のパソコンの前に座ってワクワクドキドキしながら待機した、あの頃。皆その時間に接続するものだから、ちょっと乗り遅れると、なかなか繋がらないこともあり、ボケッとしていられなかったんですよね(笑)。

ダイヤルアップ接続の音が懐かしい

常時接続ではなかった時代。ホームページの更新も、掲示板への書き込みも、チャットもメールの送受信も、ダイヤルアップで接続してから行うのが当たり前。「ピッポッパッポ」というダイヤル音が聞こえた後、「ピィィィィィィーーゴォォォォォォ」という音と共に、世界に繋がるインターネット・タイムが始まっていたのです。
ちなみに、エンマガ編集部 鈴木氏は接続音を「ピーヒョロロー」と表現していました。もしかしてそっちが一般的? でもワタシには、「ヒョロロー」ではなく、「ゴォォォォォォ」なんですよね(笑)。
・・・と思っていたら、接続音を聞かせてくれる動画を発見!あなたならこの音、なんて書きますか?

ナローバンドで家の人が電話すると接続が切れる

あるあるあるある! と、書きながら自分が頷いてしまいました(笑)。ダイヤルアップ接続時代はもちろん、ADSL時代でもちょくちょく切れた、と語る人は少なからずいるようです。
また、「平成生まれには通じないパソコンあるある」でも書きましたが、上の逆パターン、すなわち、「ネットを使っていたら、親から電話ができないと叱られた」パターンも多くの人が通過しているはず。
実家の自分の部屋で、奥行きたっぷりのデスクトップパソコンを使っていた頃の自分を思い出すと、懐かしさで目頭が熱くなります・・・。

国際電話やダイヤルQ2に勝手に繋がって冷や汗が出た

世の中には恐ろしいウイルスが沢山ありますが、勝手に国際電話やダイヤルQ2に接続しようとするウイルスなんてのも流行りました。
と、過去形にしたものの、今もこういったウイルスは存続しているかもしれません。もしウイルスにかかってしまった場合は、対処方法を解説するコチラの記事を参考にしてくださいね。
そして「ダイヤルQ2」サービス。「平成生まれには通じないパソコンあるある・第2弾」でも触れたように、今も継続していて、ついに来年終了するんですよね。
時代と共に、アンダーグラウンドな出会いのキーワードも変化しているわけですが。「テレクラ」、「ダイヤルQ2」、「出会い系」、ときて、今はそれに該当するキーワードが思いつかないんですよね・・・。ネットが普及し、知らない人と出会うことが普通となったことのあらわれかもしれませんね。

無線接続がなかったので家の中にケーブルをダラダラ這わしていた

常時接続も無ければ、無線接続も無かった! なので、家の中で長いモジュラーケーブルを這わせているのは当たり前! 
もちろん、今でもケーブルが完全に無いという家はそれほど多くはないかもしれませんが、好きな場所でインターネットができるようになったのは大革命ですよね。
あるときは床に寝転がって、あるときはお風呂にスマートフォンを持ち込んで(ジップロックに入れて!)インターネットができるようになる日が来ることを、当時の自分に教えてあげたいです(笑)。

無料ホームページといえば、ジオシティーズだった

今やホームページもブログも無料で作れるのが普通ですが、そういった無料のホームページ作成サービスの走りがジオシティーズでした。もともとはアメリカのジオシティーズ社が始めたもので、1997年に同社とソフトバンクが合弁会社を設立し、日本でもサービスが開始されました。
現在は、Yahoo! Japanのサービスとして展開されていますが、本国アメリカのジオシティーズ社は2009年に解散したのだそう。
ちなみにワタシ、今はなき「Yahoo!!インターネットガイド」という雑誌で、ジオシティーズを紹介する記事を書いたことがあります。インターネット情報誌も、この記事を書いた1997年から2005年くらいまでは沢山発行されていたんですよね。
ロボット検索も無く、知りたい情報に誰もがスイスイ辿り着ける時代ではなかったからこそ、ウェブサイトやウェブサービスを紹介する雑誌が成り立っていたのかもしれません。紙とネットの繁栄は糾える縄のごとし・・・。

PHSの64Kbps通信が斬新だった

皆さんは、PHSや携帯電話でデータ通信を使っていましたか? 1999年、DDIポケットがPHSで64Kbpsのデータ通信サービスを開始したのは、大きなニュースとなりました。
エンマガ編集部 カンダ氏いわく、「電話回線にひけを取らない高速通信(当時ですよ)と、ケーブルで繋がなくても使えるのが嬉しくて愛用していました。ただ、完全従量制だったので、毎月数万円を支払うはめに・・。いやしかし、それだけの価値はありましたよ!」とのこと。当時の興奮ぶりが伝わってくるコメントです(笑)。
PHS、という単語も「何それ?」という人がそろそろ出てきそうですよね。いや、既にいるのかもしれませんが。PHSの愛称、ピッチもしかり・・・。

「ディレクトリ型 検索エンジン」を使っていた

ディレクトリ型検索エンジンって何だっけ? と思った人は、昔のYahoo! Japanのトップページを思い出してください。「エンターテインメント」「メディアとニュース」「ビジネスと経済」などのカテゴリーが表示され、そこからさらに細かいカテゴリ分けがされていましたよね。
昔はGoogleのようなロボット型検索が無かったので、ウェブサイトを探す際は、人力で収集・分類されたサイト一覧から、これらのカテゴリを辿って探していました。そして、Yahoo! Japanに載せてもらうためにホームページの管理人は自ら申請したりしていたんですよね・・・!
有益と認められたサイトしか登録されなかったので、検索エンジンに登録されることは一つのステイタスでもありました。今はサイトを開設すると自動的にGoogleが見つけ出して登録されるので、趣味のサイトなどをコッソリ運営している人は、逆に「検索よけ」のタグをhtmlファイルに仕込んだりしていますよね。・・・人生いろいろ、検索もいろいろ。
・・・いかがでしたか?語りだすと、当時の思い出が走馬灯のように駆け巡りますね(笑)。インターネットには本当にお世話になっているなぁ、と書きながら改めて実感しました。インターネットへの愛、忘れないようにしたいと思います!

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ダヨリン(ヨダエリ)

パソコン通信からネットに親しみ、ユーザー視点に立ったデジタル活用術の記事を『日経新聞』『日経ネットナビ』など多数の媒体で手がける。「イマ・ヒト・ココロ」が執筆テーマで、恋愛アナリストとしての著書も。思春期はドイツ在住。好物はお茶とROCK。 ⇒ダヨリン普通日記