パソコン通信とは?パソコン通信の仕組みや当時の楽しみ方を紹介

たまに見聞きする「パソコン通信」という言葉。聞いたことはあるけど、どんなものかはよく知らない……という人は多いかもしれません。そもそもパソコン通信とは何なのか、ユーザーはどんな風に楽しんでいたのか、パソ通に夢中になっていた日々を思い出しながら語ります!

皆さんは「パソコン通信」をご存知ですか?
インターネットが普及する前にあったサービス、ということはなんとなく知っていても、実際どんな風に使うものだったのかは知らないという人は、意外に多いのではないでしょうか。
そこで、パソ通(ぱそつう=パソコン通信の略称)を実際にエンジョイしていた経験も踏まえ、その基本的な仕組みや魅力などを語っていこうと思います!

パソコン通信とは?

パソコン通信とは、1980年代後半から1990年代後半くらいに盛り上がった、インターネットのご先祖のようなサービスです。
専用ソフトを使ってパソコンとホストコンピュータを電話回線で接続し、ホストコンピュータを中心に、ユーザー同士が意見交換や情報収集などを行っていました。

全国に散らばるユーザーが各々のコンピュータを使ってやりとりをしていたという点では、インターネットと同じと言っていいかもしれません。

パソコン通信に必要なものは?

パソコン通信をするために必要なものは、こんな感じ。
・パソコンもしくはワープロ専用機
・モデム
・通信ソフト
・電話回線
ワープロ専用機って??と思った人もいますよね。今現在、ワープロといえばパソコン上で使うWordなどのソフトウェアが主流ですが、当時は文章作成専用機器、つまりハードウエアとしてのワープロがあり、その中にはネット接続機能を備えたワープロもあったのです。
あとは、コンピュータのデジタル信号と電話回線のアナログ信号を相互変換するためのモデムと通信ソフト、そして電話回線が必要。当時は光ファイバー接続はなく、ダイヤルアップ接続でした。パソコンから手動で回線に繋ぎ、手動で切断します。
接続時の「ピーーーーーーゴォォォォォォ」という音(人によって表現が異なると思いますが・笑)は、パソ通経験者には忘れられません。Wikiの「ダイヤルアップ接続」のページで音声を聴くこともできますよ!

パソコン通信の当時の楽しみ方

BBSってなに?

パソコン通信を語る上で外せないものが、電子掲示板、別名BBS.(Bulletin Board System)。その名の通り、文章を閲覧・投稿できる場所で、趣味や地域などさまざまなテーマごとにスレッド(もしくはトピック)が立てられ、文字によるコミュニケーションが行われていました。

BBSは、大きくわけて2種類ありました。まず、パソコン通信ホストを運営する「PC-VAN(現・BIGLOBE)」や「Nifty-Serve(現・ニフティ)」など大手商用サービス上で会員が使えるもの。そして、個人が開設・運営する「草の根BBS」です。
日本全国のBBSの概要やアクセス電話番号をまとめた「BBS電話帳」なるものも発売されていたんですよ!

▲「パソコンBBS電話帳」(電波新聞社刊)
今の時代、インターネットを楽しむために必要な情報はインターネット上にありますが、パソコン通信を楽しむために必要な情報は、書籍や雑誌、あるいはリアルイベントなど、アナログで探す時代だったのです。
ちなみにワタシは、People(日本IBM、三菱商事、日立製作所、東芝の共同出資によって設立された商用サービス)でパソ通をエンジョイしていました。たしか早稲田の大学祭でリーフレットをもらったのがきっかけだったように思います。まさかこんなにハマることになるとは思っていませんでした(笑)。

怒涛のOLT

パソコン通信を語る上で欠かせないもの、その2。オンライントーク、略してOLT。要はチャットです。
今でいうLINEのトークのような吹き出しや画像などは一切なく、モノクロ画面に文字のみが表示されました。会話の中身は、あまり覚えていませんが(笑)仲間内のたわいもない話、ニュースに関することなど、さまざまだったと思います。
新しい発言は上に表示され、古い発言はどんどん下に流れていく仕組みで、人数が多い日は超高速で文字が流れていくため、ついていくのが大変でした。でも、おかげでタイピングは早くなり、ブラインドタッチも習得。語学同様、タイピングの上達に一番必要なのは「会話がしたい」という欲求かもしれません(笑)。

オフ会も盛んだった

オンラインでやりとりをしていると、オフラインでも会いたくなるのはいつの時代も同じ。パソ通でもオフ会は盛んでした。
特に、今のように誰もがネットを使っているわけではなく、日常でパソ通をしている人に出会うことはなかったので、「会って話がしてみたい」という欲求は強くなりがちだったかもしれません。
普通に飲み会をする日もあれば、誰かの家に泊まりに行ったり、屋形船を貸し切ったりと、今思えば、かなりアクティブだったなと当時が思い出されます(若かったせいもありますが・笑)。

パソ通はポジティブな空間だった

どんな人にとっても、初めてオンラインでコミュニケーションを取った経験や時代は、思い出として刻まれるものだと思います。
ワタシにとっては、それがパソコン通信でした。生まれた場所も育った環境も年齢も職業も、まちまちな人が集まって、会話ができる楽しさ。日常では出会えなかった、同じ趣味を持つ人と語り合える嬉しさ。夜11時のテレホーダイ(※)開始時間にパソコンの前に座り、ワクワクしていたあの時間。
※テレホーダイとは、夜11時から翌朝8時の間、あらかじめ指定した特定の電話番号への通話/通信料金が毎月定額で利用できるサービス。
昨今のネットコミュニティに比べて、とても平和でした。誰もが手を出していたわけではなく、新しい技術やコミュニケーションに興味があり、そこに時間とお金を投資する人が集る場だったからかもしれません(もちろん、たまにもめごとなどはありましたが)。
その後、インターネットは世界中に普及し、必要不可欠なツールとなりました。ただ、便利になったと同時に、誹謗中傷や炎上が日常茶飯事にもなり、ネットが原因でストレスを抱える人も増えました。
人が増えると治安が悪くなるのは、ある程度は仕方のないこと。でも、パソ通を楽しんでいた時代を思い出し、嬉しい・楽しい・役に立つなど、何らかのプラスを得るために使っているんだ、という意識は持ち続けていきたいです。パソ通マインド、フォーエバー!(笑)

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ダヨリン(ヨダエリ)

パソコン通信からネットに親しみ、ユーザー視点に立ったデジタル活用術の記事を『日経新聞』『日経ネットナビ』など多数の媒体で手がける。「イマ・ヒト・ココロ」が執筆テーマで、恋愛アナリストとしての著書も。思春期はドイツ在住。好物はお茶とROCK。 ⇒ダヨリン普通日記